その他雑感

~World View~ 私は世界をどう見ているのか

長引くコロナ禍の中で、なんとなく心の中がエアポケットにハマってしまった。そんな経験は(期間の長い,短いに関係なく)誰もが感じたことだと思います。そして、こんな安全な国である日本がなぜか(1週間での)世界一のコロナ罹患数になるなど、この2年半で世界は大きく変わってしまいました。そして2022年に入ってからは、私の周りでもコロナ罹患の話はとても身近なものになりました。

人の動きが制限される世界。人が人と接触することが、まるで腫れ物にでも触るかのような世界。そんな世界は誰もが望んでいる世界ではないのでしょうが、その現実はいまだに目の前に大きく立ちはだかっているのが実状。やがて終息したとしても、形を変えたものとして残るでしょう。

そしてエアポケットに陥った際、コーチングとの出会いは私の中でとても大切なものとなりました。オンラインでいろんな方と知り合うことができたのは大きな喜びであるとともに、感謝の気持ちでいっぱいです。

そんな中、私も自分自身を見つめ直したいと思うようになりました。そこで名高い「天才戦略家」である石動祐司(witx)さん(以下、ゆうじさん)が提供する「WorldView」を受けました。私が見る限り、このWorldViewを受けた方はその後の人生を前進させる軸を持っている。そう感じたのが受講理由です。さて、私はこの世界をどのように見ているのか? 人間誰でも、自分自身のことはわかっているつもり。ただ、それを言語化できるかどうかは別の話。私の申し出を快く受けてくださったゆうじさんとの対話が、今月頭から始まりました。

28時間にもおよぶ対話の中で生まれた私の”WorldView”

最初に予定を組んだ時から大きな時間枠を確保してくれたゆうじさん。さらに予備枠を使い切ってもなお終わらず(笑) 私のWorldViewは9月23日に完成しました。それは以下となります。

一生涯の”縁”を大事にしつつ、反骨心と集中力で支えられた信念で自分を乗り越え、守りたい人の想いを成し遂げる

そして、このセンテンスは3軸(3つの言葉)を重ね合わせたものになります。

  1.  守りたい人の想いを、手を掴み壁を乗り越えることで成し遂げる
  2.  反骨心と集中力で支えられた信念で、自分を乗り越えていく
  3.  共通の想いでゆるく繋がった、生涯付き合える”縁”を大事にする

この3つが生まれていくまでのプロセスについては、コンテンツの特性上、あまり多くは書きません。ただ、言葉の一つひとつに丁寧にこだわり、「てにをは」まで気を配ってくれたゆうじさん。とても解像度が高く、”私らしい”WorldViewだな、と私自身が納得のいくものになりました。あとで計算し直したら、総計で約28時間(休憩含む)。膨大なセッションの中で生まれた私のWorldView。途中、何度も行ったり来たりしました。矛盾はないか、客観的に判断できているか、ありとあらゆる角度で、私とゆうじさんは共同作業を進めていきました。

WorldViewを受けていく中で、私がもっとも嬉しかったこと

さて、このWorldViewですが、決して”自己紹介ツール”ではありません。なので「私はこういう人です。」ということを説明することを主とはしていません。私だけがわかっていればよいものだという説明を(ゆうじさんから)受けました。

ですが、このWorldView。出てきた3軸(のもととなるフレーズ)を最初に聞いた後、ゆうじさんは私にこう言いました。

「(だらちゃんは)珍しく”他人軸”で生きている人間ですね。」

そして「他人軸で生きること。それは他人の人生を生きることではない。」 そこまでフォローしてくれました。この言葉をどう受け止めるか。それは私次第なのですが、素直に嬉しかったです。そうです。私は自分軸で生きる人間ではなく、他人軸で生きる人間です。そう胸を張って言い切れます。そしてその喜びを、3軸を「てにをは」レベルに詰めていく際に、私の意志として盛り込みました。

私のWorldViewを解説します。

先ほど「これは自己紹介ツールではない」とは言ったものの、ブログで公開する以上、私のことを知らない人も目に触れるわけです。(というか、そちらが大半ですね(笑)) と同時に「他人軸で生きる」私にとって、私のことを知ってもらうことは喜びでもあります。ということもあり、以下、私のWorldViewに少しだけお付き合いいただければと思います。

守りたい人の想いを、手を掴み壁を乗り越えることで成し遂げる

実は3軸の中で最も迷ったフレーズです。それはなぜか? WorldViewはその人が13歳くらいまでで確定するとのこと。ですが、強くこう思うようになったのは2017年に中小企業診断士の資格を取ってからです。とはいえ、子どもの頃からなかったわけではありません。セッション中、私はゆうじさんに何度も何度も言いました。

「私は愛のない家庭で育った」

そうです。私が守りたかったのは母親。(おばあちゃんも守りたかったけど、長くなるので割愛) 私が小学生の頃から、女を作って、母を泣かせてばかりの父。その母を諭す祖母。しかし、当時の私の手で母親を救うことなどできるでしょうか。目の前にある現実を受け止めることしかできない日々。そこで変にグレたりしなかったのは、たまたま私の周りの友人が(都内郊外の公立小・中学校にしては)優秀だったから。彼らには救われました。ただ、ガンのため57歳という若さで他界した母に、私は最期まで何もしてあげられませんでした。当時28歳。既に両親は離婚していたため、右も左もわからず喪主となった自分。今思い出しても寂しさだけがこみ上げてきます。

「あたたかい家庭を築きたい」

今、私がこうして元気でいられるのも、家内と娘のおかげです。特に中学受験の際、負けても負けても這い上がってきた娘の姿は「私のWorldViewを着実に受け継いでいる」と同時に「娘が1度も話したことのない私の母の姿」さえ、映し描いているように見えます。

ただ、私が「守りたい人」の中に他界した母は入りません。では、どんな人を守りたいのか。それはそのときによって変わりますが、私は家族に限らず「守りたい人」の手を掴み、互いに壁を乗り越えたい人です。会社では後進の育成を大切にし、診断士になりたい人・なりたての人からの相談を受け、コーチングでは後輩にあたる人の壁打ち相手に”自ら志願して”なっています。

会社で役職がなくても、有名診断士でなくても、有名コーチでなくても、それでも出来ることはある。私は心からそう信じています。

反骨心と集中力で支えられた信念で、自分を乗り越えていく

こちらのほうは、私の若いころから培われてきたものです。小学4年生のときに覚えた将棋。この面白さにハマったはいいものの、やってもやっても負けてばかり。なにくそと思っていた矢先、運動会の昼休みで、お弁当を食べながら「青空将棋」に付き合ってくれた近所のおじさん。ここで一気に開眼し、当時1,000円のお小遣いは880円の”将棋単行本”に必ず消えていきました。一時期プロを目指して、プロが指導する道場や日本将棋連盟小平支部にも通いましたが、「街の力自慢」とプロとではやはり違うもの。ただプロ棋士は断念したとはいえ、

将棋で培った集中力は後の受験や転職、仕事、語学/資格取得の”源泉”となるものでした。

そして「反骨心」。これは昭和プロレスを体感した人たちには共感してもらえるものではないでしょうか。新日本プロレスでは80年代前半の「長州力率いる維新軍」、全日本プロレスでは80年代後半の「天龍革命」。プロレスの話は長くなるので割愛しますが、天龍革命の根底にある「全日本マットの活性化」「愛社精神」「限りなき憂うつ」には心打たれるものがありました。そして私の心の中でも自然と「反骨心」が芽生え、人生を支える大事なものとなりました。

何か人生の壁に当たったとき、この「反骨心」が自然と私自身を鼓舞してくれました。

あとは「角松敏生」の存在も私にとっては大きく、人生において常に彼が私の前を歩んでくれたことは励みになりました。独身の頃、大きな海を何度も潜ったスキューバダイビングも角松敏生の影響で始めました。彼のサウンド以上に彼の生きざまが私の心を打つ。一言で言うと人生のメンターです。またどこかで書きたいと思いますが、彼のサウンドに「時代への反骨」を感じたからこそ、20年以上もファンでいられるのだと思います。

共通の想いでゆるく繋がった、生涯付き合える”縁”を大事にする

冒頭にコロナ禍のことを書きましたが、負の側面ばかりではなく、正の側面として「オンライン化が急激に加速された」というのがあります。私は先述のように小・中学校時代との友人との付き合いが今でもあります。基本的に年に1回だけ会って、昔話と世間話だけして終わり、という平凡な会ですが、50過ぎても続けていますし(実に30年以上!)、私が生きている限りは続ける(続く)でしょう。さらに加えて、

「中小企業診断士」「コーチング」「地域活性化」という文脈で知り合った方とは「共通の想いでゆるく繋がって」いると感じています。

ベッタリするようなことはなく、心地よいゆるさでつながる。これが私は大好きでたまりません。時にはその方が先述の「守りたい人」になることもあります。そうなることにも喜びを感じますが、基本的にはゆるく繋がって、それは一生涯続くものと信じています。

WorldViewは「勇者の剣」であり、私の半生を振り返ったものではない。

以上が、私のWorldViewですが、これは私の人生を振り返ったものではありません。確かに、今の私を作り上げたのは私の過去に紐づく体験・思考であり、それが反映されています。ただ、WorldViewは回顧録でなく「私のこれからの人生の指針」となるものであり、

逆の言い方をすると「私にはこれしかできません」という宣言でもあります。

なので、

私が生涯にわたり追い求めるものであり、それでも届かない永遠の目標でもあります。

私が今回手にしたWorldView。それをゆうじさんは「勇者の剣」という表現で説明してくれました。その証拠に、WorldViewは私が作り出したものであるにも関わらず、作り立ての今の段階では使いこなせません。使いこなすための鍛錬(行動)が必要なのです。なので、ゆうじさんにはあと少しだけフォローアップいただくことになっています。ゆうじさんはそのための場も作ってくれました。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

「WorldViewを使いこなせるようになると、その後の人生を前進させる軸を持てるようになる。」 これが受講理由ですが、使いこなせるようになれるかどうかはあくまでも自分次第。それができた時、

私の人生は高速道路を走る車のように、遮るものがない状態で自由に進むようになります。

さあ、人生後半戦。もうひとっ走りしましょうか。